学生時代

来週末、千葉県・木更津でイベントがあります。

僕は木更津には行った事がありません。
大好きな椎名誠が子どもの頃住んでいたのが幕張です。

僕の知っている幕張は都会でした。
しかし木更津はまだ南。

イベント開始は朝の7時。
と言う事は前乗りで木更津宿泊を決めました。

海ほたるも行ける。
これは楽しい仕事になりそうだ。

しかし僕が住んでいる静岡県浜松市から木更津は遠い。

東京アクアラインに入るのは川崎です。

川崎!!

これに僕の旅の心はうずきました。

僕が学生時代を過ごしていたのは、川崎市武蔵中原でした。
南武線です。

となりの武蔵小杉から、渋谷や横浜に行っていました。

もうしばらく行っていません。

そうだ!!南武線に乗ろう!!

入り日を一日前倒しして、川崎に泊まる事にしました。

これは、あの頃のへ向かう心の旅です。

川崎でサウナのカプセルホテルを予約しました。
サウナ付きで3000円AV見放題(笑)。

僕はこの年になってカプセルホテルに泊まった事がありません。

このサウナ付きカプセルホテルは魅力的です。
しかも南武線に乗って、あの頃のへ向かう心の旅付きです。

今から心が躍ります。

18歳の時です。
多感な時です。
僕が恋に落ちていた時です。

上京した無垢な青年は、東京に行ったら何をしても良いと思っていました。

そんなブログがありました・・。

「遠くで汽笛を聞きながら」作詞 谷村 新司/作曲 堀内 孝雄

悩み続けた日々がまるで嘘のように
忘れられる時が来るまで心を閉じたまま
暮らして行こう
遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことがなかったこの街で



僕が通っている学校は蒲田にありました。
アパートは南武線「武蔵中原」から歩いて15分位のアパートでした。
多分家賃が3万5千円位でしたでしょうか。風呂無し、トイレも共同でした。
でも部屋は4畳半二間で台所がありました。
希望に満ち溢れ、僕は東京での暮らしを始めました。と言っても中原は神奈川県に位置していました。
一つ隣の駅が「武蔵小杉」でした。そこには渋谷へ行く東横線に乗れました。
渋谷まで30分の快適な場所でした。

俺を見捨てたひとを恨んで生きるより
幼い心に秘めたむなしい涙の捨て場所を
さがしてみたい
遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことがなかったこの街で


僕は東京に行ったら何をしても許されると思っていました。
そして初めての一人暮らしに浮かれていたのでした。
当時「世良公則&ツイスト」がブレークしていて、僕は真っ赤なタオルを首にかけて、アロハでプカシェル(安物の貝のネックレス)をしてビーチサンダルをして学校に行きました。校門で「お前、何を考えているのだ!」と一喝されその日は退校させられました。

僕の思い描いていたキャンパスライフと少しずつ違ってきたのです。
なれない一人暮らし・・、ホームシック。
学校ではできない友達。真っ暗なアパートへ帰る寂しさ。
布団に入ると、南武線の振動が聞こえます。
「ガタン・ゴトン」そのレールを走る電車の音が望郷の念をかきおこしました。
あの頃僕は別れた恋人やふるさとを思い出し枕を涙で濡らしていました。

たまに同郷の友達が下宿に訪ねてきました。
その時の嬉しさは忘れられません。
故郷から送ってもらった「ジャガイモ」を塩で炒め、あの頃はサントリーのウォッカを水で薄めて飲んでいました。
ウォッカは安いわりにアルコール度数が高いので酔えるのです。
あの時ウォッカを飲みながら毎晩聞いていたのが、アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」でした。

どうしてこんなに辛い思いをしなければいけないのか!
一人ってこんなに悲しいものなのか・・!
19歳の夜でした。※19歳でウォッカを飲んでいたの?

僕がはじめて知る人生の孤独と厳しさでした。

せめて一夜の夢と泣いて泣き明かして
自分の言葉に嘘はつくまい
ひとを裏切るまい
生きて行きたい遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことがなかったこの街で

1976年(昭和51年)




人生には数え切れない程の分かれ道があります。
もしもあの時あの道を選んでいたら・・
もしも僕が東京にそのまま住んでいたら・・!
もしも・・
多分違った人生を送っていたと思います。

今は僕が選んだ道を正しいと思って生きています・・が
もう一度あの分かれ道に今立ったら・・

もしも・・なんて言葉は思い出に封じ込めたほうがいいのかもしれません。

今でも武蔵中原の風景は忘れる事ができません。
そうだ・・ぶらり旅で中原に行こうか・・?
その時は苦楽を共にした親友と行こう!

遠くで汽笛を聞きながら・・
今でもこの歌を聴くと鮮やかにあの頃が走馬灯の様に思い出され・・泣けて・・
深酒をしていまいます・・・2009年ブログより。


そんな中原に数十年ぶりに行ける。
心踊ります。
しかし、僕が住んでいた住所の番地が分かりません。
押し入れにしまってある段ボールを開けて探すしかなさそうです。

多分・・中原で泣くだろうな。
僕の原点がある町なのだから・・。




2011年03月10日Comments(0)TrackBack(0)昭和 | Smile&Cry

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