「竜馬伝」最終回
福山竜馬、最終回を見て思ったこと。
あっけない。
突然終わる。
そんな印象でした。
ドラマは盛り上がって、突然暗殺と言う終結。
岩崎弥太郎が浪花節になっていました。
でも今回の「竜馬伝」はそんなドラマとしての良さがたくさん入っていました。
坂本竜馬は、あくまでも司馬遼太郎が書いた「竜馬がゆく」の名作文学が下地になっています。
僕は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」ですっかり傾倒していまいました。
竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)
クチコミを見る
福山竜馬も良かったね。
かっこよすぎだけれど。
あっけない。
突然終わる。
そんな印象でした。
ドラマは盛り上がって、突然暗殺と言う終結。
岩崎弥太郎が浪花節になっていました。
でも今回の「竜馬伝」はそんなドラマとしての良さがたくさん入っていました。
坂本竜馬は、あくまでも司馬遼太郎が書いた「竜馬がゆく」の名作文学が下地になっています。
僕は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」ですっかり傾倒していまいました。
竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)
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福山竜馬も良かったね。
かっこよすぎだけれど。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は実在した坂本竜馬の史実に基づいて、司馬遼太郎の文学エッセンスを盛り込んだ作品です。
その見事な描写や登場人物の生き様を描いています。
今回の「竜馬伝」も、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が下地になっている事は、司馬遼太郎ファンにはすぐに分かります。
徳川幕府が300年続き、そこから明治維新に突入していく激動の時代。
歴史を動かしたのは「坂本竜馬」の様に司馬遼太郎は文学として描いています。
それだけ坂本竜馬は魅力的な人物でした。
そしてその時代は、数々の歴史に残る人物が登場してきます。
西郷隆盛・高杉晋作・大久保利通・徳川慶喜・武市半平太・新撰組エトセトラ・・
NHKの大河ドラマでは必ず主役になっている人が、維新にたくさん登場しています。
そしてそれぞれの人が魅力的で輝いています。
時代が変わる、そんな時に多くのドラマが生まれます。
さて「竜馬伝」最終回です。
これは結末が分かっていても泣けます。
中岡慎太郎のやり取りで、「この国の主は選挙で決める」これは司馬遼太郎でも書かれていました。
もっとすごいのは(「竜馬伝ではなかったけれど)」竜馬は薩摩や長州が天皇を頭にと考えていたのですが、竜馬はその天皇君主まで否定しているのです。
ここに司馬遼太郎文学の真髄があります。
中岡はそんな先の先まで見ている竜馬の身を案じます。
どちらに転んでも命を狙われる。
そして「近江屋」の竜馬暗殺のくだり・・。
司馬遼太郎は細かく描写していました。
致命傷は最初の頭への一太刀でした。
竜馬は切られた頭から白い脳漿が流れ落ちるのを見て自分の死を悟ります。
そして物語は終わります。
あっけなく・・。
そう、死はあっけないのです。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」のあとがきで語ります。
ここに司馬遼太郎文学、そして「竜馬伝」の面白さがあると思います。
司馬遼太郎「時代を変えた竜馬。暗殺ばかり取り上げられるが、死は平等だ。暗殺や病死、交通事故で死んでも死は同じ。いかに死んだのではなく、いかに生きたのか、それが書きたかった」
僕はこの本を読んで泣きました。
そして「いかに生きるか」これが僕のBIBLEになりました。
それは思春期の頃でした。
今回の「竜馬伝」もいかに生きたか・・を見事に描いていました。
ドラマであり文学です。
でもそんなドラマからも感動とすがすがしさを感じられました。
最近は情報に流されまさに何が正しくて何が間違っているのか分からない世の中になってきました。
竜馬が言うように目の前の出来事や自分の周りに情報に流されず、一歩自分から離れて自分を見つめる、地球と言う一つの国の観点から物事を考える、そんな事が大事だと思いました。
いつも世の中を変えていくのは変人でNOと言える人たちでした。
その見事な描写や登場人物の生き様を描いています。
今回の「竜馬伝」も、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が下地になっている事は、司馬遼太郎ファンにはすぐに分かります。
徳川幕府が300年続き、そこから明治維新に突入していく激動の時代。
歴史を動かしたのは「坂本竜馬」の様に司馬遼太郎は文学として描いています。
それだけ坂本竜馬は魅力的な人物でした。
そしてその時代は、数々の歴史に残る人物が登場してきます。
西郷隆盛・高杉晋作・大久保利通・徳川慶喜・武市半平太・新撰組エトセトラ・・
NHKの大河ドラマでは必ず主役になっている人が、維新にたくさん登場しています。
そしてそれぞれの人が魅力的で輝いています。
時代が変わる、そんな時に多くのドラマが生まれます。
さて「竜馬伝」最終回です。
これは結末が分かっていても泣けます。
中岡慎太郎のやり取りで、「この国の主は選挙で決める」これは司馬遼太郎でも書かれていました。
もっとすごいのは(「竜馬伝ではなかったけれど)」竜馬は薩摩や長州が天皇を頭にと考えていたのですが、竜馬はその天皇君主まで否定しているのです。
ここに司馬遼太郎文学の真髄があります。
中岡はそんな先の先まで見ている竜馬の身を案じます。
どちらに転んでも命を狙われる。
そして「近江屋」の竜馬暗殺のくだり・・。
司馬遼太郎は細かく描写していました。
致命傷は最初の頭への一太刀でした。
竜馬は切られた頭から白い脳漿が流れ落ちるのを見て自分の死を悟ります。
そして物語は終わります。
あっけなく・・。
そう、死はあっけないのです。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」のあとがきで語ります。
ここに司馬遼太郎文学、そして「竜馬伝」の面白さがあると思います。
司馬遼太郎「時代を変えた竜馬。暗殺ばかり取り上げられるが、死は平等だ。暗殺や病死、交通事故で死んでも死は同じ。いかに死んだのではなく、いかに生きたのか、それが書きたかった」
僕はこの本を読んで泣きました。
そして「いかに生きるか」これが僕のBIBLEになりました。
それは思春期の頃でした。
今回の「竜馬伝」もいかに生きたか・・を見事に描いていました。
ドラマであり文学です。
でもそんなドラマからも感動とすがすがしさを感じられました。
最近は情報に流されまさに何が正しくて何が間違っているのか分からない世の中になってきました。
竜馬が言うように目の前の出来事や自分の周りに情報に流されず、一歩自分から離れて自分を見つめる、地球と言う一つの国の観点から物事を考える、そんな事が大事だと思いました。
いつも世の中を変えていくのは変人でNOと言える人たちでした。