「独裁者は自分の心の中にある」
僕が死んだら、棺桶に持っていく音楽が「smile」だ。
これは、チャールズ・チャップリンの「モダンタイムス」のエンディングに使われた曲です。
僕のブログ「最後の晩音」でも書きました。
では僕が死んだ時に持っていく映画は・・
これも悩みました。
本来なら「小さな恋のメロディ」です。
でも中学の時初めて見たチャップリンの「モダンタイムス」。
または、「サウンドオブミュージック」になるでしょうか。
でも今の世の中でしたら、「独裁者」になります。
これは、チャールズ・チャップリンの「モダンタイムス」のエンディングに使われた曲です。
僕のブログ「最後の晩音」でも書きました。
では僕が死んだ時に持っていく映画は・・
これも悩みました。
本来なら「小さな恋のメロディ」です。
でも中学の時初めて見たチャップリンの「モダンタイムス」。
または、「サウンドオブミュージック」になるでしょうか。
でも今の世の中でしたら、「独裁者」になります。
チャップリンの初めてのトーキーの映画でした。
僕はこの映画を中学生の思春期真っ只中で見たのです。※リバイバル上映
当時世界は冷戦状態で、ベトナム戦争が終結。
朝鮮半島はまだ緊張状態が続いていました。
戦争とは一体何なのか!!と言う事も分からないでいました。
そしてこのチャップリンの名作「独裁者」を見ました。
公開は1940年と言うから、当時は第二次世界大戦に突入していく時代でした。
チャップリン演じる「チャーリー」はヨーロッパの架空の国「トメニア」の床屋でした。
トメニアの独裁者は「ヒンケル」でした。
チャップリンは「チャーリー」と独裁者「ヒンケル」を一人二役で演じていました。
もしかしたら、一人二役を最初に演じたのはチャップリンかもしれません。
チャーリーは当時迫害されていたユダヤ人。
ヒンケルはあのナチス総統のヒットラーを思い起こさせます。
そしてこの映画が公開されたときは、まだヒットラーも生きていました。
すごい映画を作ったのだといまさらながら思います。
この映画は、喜劇です。腹のそこから笑えます。と同時に悲劇です。
チャップリンがこの映画で何を伝えたいのか。
答えはシンプルです。
床屋のチャーリーも独裁者のヒンケルも同じ人間。
二人とも孤独なのです。
映画のクライマックスは、床屋のチャーリーと独裁者のヒンケルが入れ替わり、床屋のチャーリーがヒンケルになりすまし、独裁者の演説をします。
さて、この映画が公開されてはや70年。
世界はあの頃と違い豊かになりましたが、それは一部の人たちであり、未だにチャーリーとヒンケルがこの世の中に居ます。
最近は資源をめぐりボーダーで争いごとが絶えません。
国が豊かになるための生き残りのレースが始まっています。
情報だけが最初に来て何が大切な事なのかを判断するのも難しい世の中になってきました。
こんな僕でさえ、日々の生活に一喜一憂しています。
僕が次の世代に残しておく1本の映画は「独裁者」なのかも知れません。
それは70年前の戦争の時代と同じなのです。
独裁者は僕たちの心の中にいることを忘れてはいけない・・と思うのです。
「ユダヤ人も黒人も白人も、人類は互いにたすけ合うべきである
他人の幸福を念願として。
お互いに憎み合ったりしてはならない。
世界には全人類を養う富がある。
人生は自由で楽しいはずであるのに、貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。
スピードも意思を通じさせず、機械は貧富の差をつくり、知識を得て人類は懐疑的になった。
思想だけがあって感情がなく、人間性が失われた。
知識より思いやりが必要である。思いやりがないと暴力だけが残る。
人々よ 失望してはならない。貪欲はやがて姿を消し、恐怖もやがて消え去り、独裁者は死に絶える。
大衆は再び権力を取り戻し、自由は決して失われぬ!
ハンナ、聞こえるかい? 元気をお出し。
ごらん、暗い雲が消え去った。太陽が輝いている。明るい光が射し始めた。新しい世界が開けてきた。
人類は貪欲と憎悪を克服したのだ。
人間の魂は翼を与えられていた。
やっと飛び始めた。虹の中に飛び始めた。
希望に輝やく来に向かって!
輝かしい未来は君にも私にもやって来る。
我々すべてに!」
僕はこの映画を中学生の思春期真っ只中で見たのです。※リバイバル上映
当時世界は冷戦状態で、ベトナム戦争が終結。
朝鮮半島はまだ緊張状態が続いていました。
戦争とは一体何なのか!!と言う事も分からないでいました。
そしてこのチャップリンの名作「独裁者」を見ました。
公開は1940年と言うから、当時は第二次世界大戦に突入していく時代でした。
チャップリン演じる「チャーリー」はヨーロッパの架空の国「トメニア」の床屋でした。
トメニアの独裁者は「ヒンケル」でした。
チャップリンは「チャーリー」と独裁者「ヒンケル」を一人二役で演じていました。
もしかしたら、一人二役を最初に演じたのはチャップリンかもしれません。
チャーリーは当時迫害されていたユダヤ人。
ヒンケルはあのナチス総統のヒットラーを思い起こさせます。
そしてこの映画が公開されたときは、まだヒットラーも生きていました。
すごい映画を作ったのだといまさらながら思います。
この映画は、喜劇です。腹のそこから笑えます。と同時に悲劇です。
チャップリンがこの映画で何を伝えたいのか。
答えはシンプルです。
床屋のチャーリーも独裁者のヒンケルも同じ人間。
二人とも孤独なのです。
映画のクライマックスは、床屋のチャーリーと独裁者のヒンケルが入れ替わり、床屋のチャーリーがヒンケルになりすまし、独裁者の演説をします。
さて、この映画が公開されてはや70年。
世界はあの頃と違い豊かになりましたが、それは一部の人たちであり、未だにチャーリーとヒンケルがこの世の中に居ます。
最近は資源をめぐりボーダーで争いごとが絶えません。
国が豊かになるための生き残りのレースが始まっています。
情報だけが最初に来て何が大切な事なのかを判断するのも難しい世の中になってきました。
こんな僕でさえ、日々の生活に一喜一憂しています。
僕が次の世代に残しておく1本の映画は「独裁者」なのかも知れません。
それは70年前の戦争の時代と同じなのです。
独裁者は僕たちの心の中にいることを忘れてはいけない・・と思うのです。
「ユダヤ人も黒人も白人も、人類は互いにたすけ合うべきである
他人の幸福を念願として。
お互いに憎み合ったりしてはならない。
世界には全人類を養う富がある。
人生は自由で楽しいはずであるのに、貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。
スピードも意思を通じさせず、機械は貧富の差をつくり、知識を得て人類は懐疑的になった。
思想だけがあって感情がなく、人間性が失われた。
知識より思いやりが必要である。思いやりがないと暴力だけが残る。
人々よ 失望してはならない。貪欲はやがて姿を消し、恐怖もやがて消え去り、独裁者は死に絶える。
大衆は再び権力を取り戻し、自由は決して失われぬ!
ハンナ、聞こえるかい? 元気をお出し。
ごらん、暗い雲が消え去った。太陽が輝いている。明るい光が射し始めた。新しい世界が開けてきた。
人類は貪欲と憎悪を克服したのだ。
人間の魂は翼を与えられていた。
やっと飛び始めた。虹の中に飛び始めた。
希望に輝やく来に向かって!
輝かしい未来は君にも私にもやって来る。
我々すべてに!」