あの頃へ・・もう一度
チョン チョ〜ンと鳴る拍子木の音。
ここから始まる物語は昭和40年代・・。
僕は街中の市営住宅に住んでいた。
広沢小学校・低学年だった僕はカギっ子だった。
カギっ子とは、両親が共働きで家の鍵を子供に持たせていた。
僕のアパートは5階建で家は1階にあった。だからベランダを乗り越え勝手口(ベランダの扉)から家に入っていたので、本当のカギっ子とは少し違った。
そうしてアップした「人生紙芝居・・」
久しぶりにツッチーと自転車でB級グルメツアーに出かけたのが8月18日の11時。
ツッチーが「肉屋のチキンカツを食べに行きましょう!!」とメール。
その店が浜松市中区常盤町にあるので浜松城公園で待ち合わせ。
その日も朝からぐんぐん気温が上がりました。
愛車スペシャ・コンプで佐鳴台経由・・広沢。そして鹿谷(旧・亀山町)へ。
途中浜松市立高校付近で軽い熱中症。
凍らせたペットボトルを首にあて鹿谷町へ。
ここは僕が生まれ育った街です。
旧名は亀山町。今は鹿谷町になっています。
車で走ると通り過ぎてしまう風景が、自転車だと見えてくる。
僕は、生まれ育ったアパート向かいました・・。
数十年になるのに、今もしっかり市営アパートとして住人が住んでいます。
当時水洗トイレが珍しかったけど、アパートは水洗でした。しかし風呂はないので銭湯でした。
子供の頃大きいと感じたアパートも、今見ると小さい。
左のドアが僕が育った部屋です。
鍵っ子だったのでこベランダを乗り越えて家に帰りました。
当時は高いと思ったベランダの鉄格子も今見れば低い。
そしてあの頃と同じ風景・・・。※後ろの電柱があの頃とおなじだ!!
当時は舗装されてなく、土の道でした。
ここから始まる物語は昭和40年代・・。
僕は街中の市営住宅に住んでいた。
広沢小学校・低学年だった僕はカギっ子だった。
カギっ子とは、両親が共働きで家の鍵を子供に持たせていた。
僕のアパートは5階建で家は1階にあった。だからベランダを乗り越え勝手口(ベランダの扉)から家に入っていたので、本当のカギっ子とは少し違った。
そうしてアップした「人生紙芝居・・」
久しぶりにツッチーと自転車でB級グルメツアーに出かけたのが8月18日の11時。
ツッチーが「肉屋のチキンカツを食べに行きましょう!!」とメール。
その店が浜松市中区常盤町にあるので浜松城公園で待ち合わせ。
その日も朝からぐんぐん気温が上がりました。
愛車スペシャ・コンプで佐鳴台経由・・広沢。そして鹿谷(旧・亀山町)へ。
途中浜松市立高校付近で軽い熱中症。
凍らせたペットボトルを首にあて鹿谷町へ。
ここは僕が生まれ育った街です。
旧名は亀山町。今は鹿谷町になっています。
車で走ると通り過ぎてしまう風景が、自転車だと見えてくる。
僕は、生まれ育ったアパート向かいました・・。
数十年になるのに、今もしっかり市営アパートとして住人が住んでいます。
当時水洗トイレが珍しかったけど、アパートは水洗でした。しかし風呂はないので銭湯でした。
子供の頃大きいと感じたアパートも、今見ると小さい。
左のドアが僕が育った部屋です。
鍵っ子だったのでこベランダを乗り越えて家に帰りました。
当時は高いと思ったベランダの鉄格子も今見れば低い。
そしてあの頃と同じ風景・・・。※後ろの電柱があの頃とおなじだ!!
当時は舗装されてなく、土の道でした。
今は亡き親父は夕方5時には必ず仕事を終え、5時半には二人でパートの前でキャッチボールをしました。
広いと思っていた路地で僕たちは日がくれるまで遊んでいました。
あ〜懐かしいな〜。炎天下の中、少しだけ感傷的になります。
昭和40年代。長島や王、あと相撲の大鵬が憧れでした。
自転車で少し下ると軽便電車が走っていた路線跡があります。
今は整備されて遊歩道になっていますが、子供の頃はここが遊び場で、脇の側溝にはアメリカザリガニがたくさんいました。
トンネルは今みたいに照明がなく、昼でも暗いのでよく肝試しをしました。
夜は本当に恐かったです。
あまりにもの暑さなので、冷房のあるところへと「浜松市立博物館」に立ち寄りました。
博物館・夏のイベントは「オートバイ列伝」と「懐かしのプロマイド展」です。
※この間にランチしてきましたが、ランチアップは後日・・
懐かしのプロマイドがショーケースに陳列してありました。
僕は真理ちゃんのプロマイドを生徒手帳に入れていました。
博物館は夏休みの研究発表のためか、子供たちで一杯でした。
子供たちは懐かしのブロマイドには目もくれません。
※展示物・撮影はOKです。
ちなみに僕は月刊平凡より、月刊明星派でした。
そして懐かしのオートバイ展。
バイク好きにはたまらない展示車が並ぶ。
僕は、ホンダ・スーパーカブが懐かしい。
昔はポンポンと呼んでいて、叔父さんの愛車でした。
ポンポンに乗るsunboy。もちろん市営アパートの前です。
浜松は、ヤマハ・ホンダ・スズキとオートバイの聖地です。
そんな歴史も知る事ができます。
でもヤマハのオートバイのCMモデルが石原裕次郎とは・・知らなかった。
自転車と言うタイムマシンに乗ってあの頃に帰りました。
昭和40年代の夏・・。
もちろんエアコンなんてありません。
TVも白黒。
太陽が時計でした。
太陽が出ると起きて学校へ行き、太陽が沈むと家に帰りました。
悲しいかな・・どんな食卓だったのか・・記憶にありません。
銭湯が楽しみでした。それが今のサウナ好きにつながっていると思います。
家には電話がありませんでした。呼び出しです。
家に黒電話がきた時、父が田舎の両親に電話をしていたのをかすかに覚えてます。
自転車で走ると、身近なところに昭和があります。
広いと思っていた路地で僕たちは日がくれるまで遊んでいました。
あ〜懐かしいな〜。炎天下の中、少しだけ感傷的になります。
昭和40年代。長島や王、あと相撲の大鵬が憧れでした。
自転車で少し下ると軽便電車が走っていた路線跡があります。
今は整備されて遊歩道になっていますが、子供の頃はここが遊び場で、脇の側溝にはアメリカザリガニがたくさんいました。
トンネルは今みたいに照明がなく、昼でも暗いのでよく肝試しをしました。
夜は本当に恐かったです。
あまりにもの暑さなので、冷房のあるところへと「浜松市立博物館」に立ち寄りました。
博物館・夏のイベントは「オートバイ列伝」と「懐かしのプロマイド展」です。
※この間にランチしてきましたが、ランチアップは後日・・
懐かしのプロマイドがショーケースに陳列してありました。
僕は真理ちゃんのプロマイドを生徒手帳に入れていました。
博物館は夏休みの研究発表のためか、子供たちで一杯でした。
子供たちは懐かしのブロマイドには目もくれません。
※展示物・撮影はOKです。
ちなみに僕は月刊平凡より、月刊明星派でした。
そして懐かしのオートバイ展。
バイク好きにはたまらない展示車が並ぶ。
僕は、ホンダ・スーパーカブが懐かしい。
昔はポンポンと呼んでいて、叔父さんの愛車でした。
ポンポンに乗るsunboy。もちろん市営アパートの前です。
浜松は、ヤマハ・ホンダ・スズキとオートバイの聖地です。
そんな歴史も知る事ができます。
でもヤマハのオートバイのCMモデルが石原裕次郎とは・・知らなかった。
自転車と言うタイムマシンに乗ってあの頃に帰りました。
昭和40年代の夏・・。
もちろんエアコンなんてありません。
TVも白黒。
太陽が時計でした。
太陽が出ると起きて学校へ行き、太陽が沈むと家に帰りました。
悲しいかな・・どんな食卓だったのか・・記憶にありません。
銭湯が楽しみでした。それが今のサウナ好きにつながっていると思います。
家には電話がありませんでした。呼び出しです。
家に黒電話がきた時、父が田舎の両親に電話をしていたのをかすかに覚えてます。
自転車で走ると、身近なところに昭和があります。