三波春夫 村田英雄・・昭和の両雄

今の様に大画面だ38インチではなく、ブラウン管20型が大画面だった当時(昭和)、歌謡界群雄割拠がありました。

その大御所と言われていたのが、三波春夫 村田英雄でした。

三波春夫さんが1970年に開催された「大阪万国博覧会」でお客様は神様ですとうたった「世界の国からこんにちは」は子供心にインパクトが強かった。

村田英雄さんは「村田だ!!」の物まねねで知っている人も多いが、子供心に危ない系おじさんの印象があった。※危ないとは恐い人たちです・・はい。
「王将」は(餃子の王将ではない)、当時の小学生が「吹けば飛ぶよな将棋の駒に・・」なんて意味もわからず歌っていました。

二人とも浪曲の大御所だったとは成人してから知ったものでした。

NHK紅白歌合戦の中心には必ずこの二人がいたのを子供心に記憶しています。

インパクトがありました。
三波春夫さんは、歌の中に浪曲が入り
「あ・さあさあ・・」と浪曲をうなってました。

村田英雄さんは何と言っても「無法松の一生」。
「ぼん(子供を呼ぶ時のセリフ)、ぼん・・わしはなあ〜」

その根で生きる豪快な性格でかなりの酒豪で晩年は闘病生活が長かった。

三波春夫 村田英雄は互いにライバルだったらしい。
芸風は違うが、お互いに常に意識していたらしい。

2001年4月、長年のライバル・三波春夫が亡くなりました。享年77歳でした。
村田は「これで生き残ってるのは俺だけやな」と絶句したそうです。

そして後を追うように2002年6月、村田英雄も亡くなりました。享年74歳でした。

お互いにキャラクターは違っても常に意識し続けて歌謡界に大きな影響を与えました。

もちろん子供だった僕が二人から音楽影響を受けたかと言うと定かではありません。
でも昭和の歌謡史を語る上でまずはこの両雄を思い浮かべるのです。

そこから美空ひばり・都はるみと言うこれも偉大な歌手の時代が訪れてきたのです。

まさに歌謡曲全盛の時代が昭和でした。

ここに「月刊平凡・月刊明星」と言う雑誌が昭和を席巻していくのです。
アイドル出現です・・。
おっとそんな話は次回ですね。


2010年06月10日Comments(0)TrackBack(0)MUSIC | 昭和

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