昭和・・リターンズ(1)「上を向いて歩こう/坂本九」

「転失気(てんしき)・・屁について考えたことはありますか?

屁は体の中を流れる風・・だそうです。
多少・・いや相当匂いもありますが・・。

今、恋しているあなた・・。
好きな人の前で・・屁をひっていますか?
それができないなら・・恋。
できるなら・・それが愛・・。

公衆で屁は道徳に反しますが・・、自分のエリアだったらそれもOK。
ましてや、好きな人の前で屁もできなんて・・・。

ゆっくり・・放屁する場所が・・自分の一番大切な場所なのです。

落語「転失気(てんしき)」は、体調のすぐれない和尚が診察に訪れた医者から「てんしき」があるかないかを聞かれる。
何のことかわからない和尚は知ったかぶりをしてその場をごまかし、あとで小僧を呼んで近所に「てんしき」を調べに行かせる。
だれもが知ったかぶりをしたため、はっきりしたことを聞き出せない小僧が最後に医者を訪ね「てんしき(転失気)」とは屁(へ)のことだと聞かされる。人々の知ったかぶりに気づいた小僧は、和尚に「てんしき」とは盃のことと偽りを伝える。

医者の往診の折、宝物の盃を見てもらおうと小僧に「てんしき」を持ってくるように命じた和尚・・・・」

不況不況と言われていますが、僕は昭和と言うワクチンを打っていますから多少なりとも我慢できる。
あの頃は今の様に豊かではなかったけれど、毎日が楽しかった。

子供の頃、家に風呂がなかった。
僕は市営アパートに住んでいたので、風呂は銭湯だった。
当時、アパートは逆に豊かな象徴だった。
家にはマイカーがあった。
カローラだった。
家に風呂がなくても、車があり銭湯に通っていた自分は貧乏だとは思わなかった。

昭和


父はカローラを毎日磨いていた。車に乗るのに土足厳禁だった。
しかも後部座席・・足元に新聞が敷いてあった。
でも日曜日の度に、カローラに乗って出かけるのが我が家の楽しみだった。
と言っても東名高速道路は全開通していなく・・近場にドライブするのが楽しかった。
母はカレーを鍋のまま車に入れ、浜名湖で車を止めて鍋から茶碗にカレーをかけて食べた。父は車にカレーの匂いが付くと不機嫌だったが楽しかった。
駐車場も無いアパートの敷地に帰ると父は必ず車を磨いた。
そして銭湯に家族で出かけた。
下町だったので、歩いて3分くらいにところに銭湯があった。
銭湯は僕たちの社交の場だった。
父は服はロッカーに入れず、籠(竹製)に放り込んだ。放り込む前に、必ずさかさまにしてカッカと埃を落として使用していた。
そんな仕草が妙にかっこよく・・僕も真似して籠をさかさまにして埃(ほこり)を落とし衣類を入れていた。
壁には映画のポスターが貼られていた。
「網走番外地」「赤ひげ」や洋画の映画ポスターが貼られていた。
中には日活のポルノや「肉体の門」など小学生には刺激的なポスターも多く貼られていた。
小学3年までは母と女湯に入っていたのだが、同級生の同じアパートの女の子に学校でばらされ、以降この歳になるまで女湯には入っていない。
銭湯の壁には富士山・三保の松原が描かれていた。
父は壁越しに女湯の母に「もう出るっぞ〜」と声を掛けて、母は
「は〜い」と返事が帰ってきた。
まさに「時間ですよ」の世界がそこにあった。

毎週日曜日はイベントだった。
家には必ずお客さんがいた。
それは近所の床屋の親父だったり、アパートに住む自衛官だったり。
シャボン玉ホリーデーとともに酒盛りが始まり、最後には決まってマージャンになった。
今まで食卓でだったコタツテーブルの板をひっくり返すと、それは緑色のマージャン卓になったのだ。
でもそれは安物のベニヤ板だったのか、パイをかき回すと大きな音がした。
母から「子供はもう寝なさい」と言われ布団に入ったのだが、深夜まで続く大人たちの笑い声とパイをかき回す音は、妙に心地よかった。

当時家には電話が無かった。
呼び出し電話だった。
申し込みから順番待ちで、やっと家にも電話が来たときの感激は忘れない。
横柄だった電電公社の人が開通チェックを済ませると、父は田舎の母に電話開通を知らせていた。
ダイヤル式の黒電話に、母はハンカチをかけていた。
通話口には緑の今から考えると分からない香水の様な匂いがする蓋が付いていた。

父は次男で田舎から単身で頑張ってきたせいか、電話や車は大切にした。
カローラに乗って田舎に帰るのが、今から考えると父の勲章だったのかも知れない。

まだそれは僕が下町にすんでいた頃の小学生の頃の話です。
やがて僕は下町に別れを告げ、引越し転校するのですが、もう少し昭和の少年時代の話をさせて下さい・・。

「さて小僧にすっかりだまされた和尚、医者に問われました。
『どうですか、転失気は』
『いや先生にお見せしたい転失気があるのです』
『いや別に見せてくれなくても結構ですが・・』
『そうはおっしゃらずに・・今からとっておきの転失気をお見せします・・。こんな大きな・・・特別な・・』」
あの頃は父も和尚も下町の人たちも、まるで落語から抜け出したようにおかしくも滑稽で笑って泣ける・・人情があふれる時代でした。



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