唐茄子屋・・ありがとう

子供の頃は一日が長かった。
この歳にになると一日、いや一年があまりにも短い。

この歳になってもツッパリで生きてきたが、そんなものは屁の役にも立たない。

真っ直ぐに成長してきたこの国が、今後退しているそうだ。

僕は大丈夫だと思っていた。
僕たちは貧乏の時代を過ごしてきた。
でもそこに人情があった。
貧しいながら隣同士の付き合いがあった。
それは落語で出てくる長屋の大家と店子(たなこ)の付き合いがありました。

この国が成長してきて今曲がり角に立った時、あの頃と同じ心になれるでしょうか?

僕たちは生活は豊になったのですが、心は豊になったのっでしょうか?

一年を締めくくりにあたり、自問自答してみます。

自分はどうなのか?と・・。

浮かれてました。
まさかこんな厳しい状況が急に来るとは思っていませんでした。
多分来年はもっと厳しい年にになるでしょう。
今がトンネルの中。
でもレールの先には出口が待っています。

世間は12月27日から休みに入りました。
サウナは座るところが無いほど混雑しています。
年末まで休みがないのですが今日30日は、亡き父の墓の掃除に行きました。
毎年のことですが、市の霊園の駐車場は満車。
バケツとタワシで墓の掃除。

何故か霊園に来ると生と死について考えてしまう。

帰りの車の中で偶然にiPodで円生の「唐茄子屋(とうなすや)」が流れる。
僕はこの落語が大好きなのだ。
一番好きなのが志ん朝。今日のは円生の唐茄子屋だ。
円生は大好きなのだが、僕の持っているのは話途中でサゲになっているのが残念だ。

ざっと「唐茄子屋」の話をしよう。
男の道楽、飲む・打つ・買うは三大道楽。
ある大店の若旦那・徳は買うの道楽が大好き。毎日吉原通いで、ついに親に勘当される。親の金で道楽をしてきた徳はついに金も底をついて川に身を投げようとするところを叔父に助けられる。
しかし叔父から言い渡されたことは、遊ぶなら自分の稼ぎで遊べという事だった。
唐茄子を天秤に担いで行商に出かけるが・・大家の若旦那。天秤なんぞ担いだことがない。
重たい唐茄子を担いで吾妻橋を渡ったところで荷を放り出してしまう。
すべて投げ出してしまい「殺される!!」と叫ぶ。
そこに通りがかった町民
「いってい誰に殺されるんだ?唐茄子?」
徳の話を聞いて
「それは叔父さんがおめえの為にしてくれていることだ。おめえもいい事をした報いだ。唐茄子を売らなければ・・よし俺が声をかけてやる」
見ず知らずの男が行き交う友達や見ず知らずの男に唐茄子を売りさばいて行く。
これがこの落語の泣かせるところです。
「唐茄子買ってやってくれよ・・。こいつは道楽がもとで困っているんだ」
「俺は茄子は嫌いだ。金だけやる」
「おい待てよ!奴は物乞いじゃないんだ!商売をしているんだ!そんな言い方はないだろ!!」
見ず知らぬ人のおかげで唐茄子を売りさばいた徳。
稼いだ金を持って長屋に来た所、その日の食べ物に困っている長屋の子供と母に出会う。父は行商に出かけている。
徳は残った唐茄子と初めて自分で働いた金をその親子に渡し名も告げづに叔父のもとに帰る。
売り上げのない事に怒った叔父は・・・。その先は又落語で聴いて下さい。


志ん朝・円生ともに名前も告げずに唐茄子売りさばく町民の下りは笑い、泣ける。
下町の人情がある。
方や大店の道楽息子、方や貧乏な町人。

徳「せめてお名前だけでも聞かせて下さい」
「何を!唐茄子を売っただけで名乗るほどじゃないやい。親や叔父を恨むんじゃねいぞ。困った時は又来いや。俺が何とかしてやるから・・」
徳「はい、困った時はまた天秤を担いでここで転びます」・・・

転ぶことは簡単だ。
でも助けてくれる人がどれだけいるだろうか。
いや今もまんざらでもない。
今の世の中でも唐茄子屋の話はたくさんある。きっと。





2008年12月30日Comments(0)TrackBack(0)Smile&Cry | 落語

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